「だって、なんかあるかもって思っちゃうから」
僕がいつも話したくなる、ユンとの出会いのエピソードがある。これを話せば、ユンがどういう人か、だいたい伝わる気がする。
CC がまだ影も形もなかった頃の話だ。僕とユンには、メラニーという共通の友人がいる。ニュージーランド出身で、佐渡島の伝説的な太鼓集団「KODO」で働いていた人だ。その KODO が毎年夏に地元・佐渡で開いている「アース・セレブレーション」というお祭りがあって、僕もユンも、それに参加するためにメラニーの家に泊まりに行っていた。僕がユンと初めて会ったのも、そのメラニーの家だった。当時の僕のことを、ユンはこんなふうに覚えているらしい——朝、海に飛び込んでは、トマトを海の塩で食べて、あとは岩場で見つけられるものを片っ端から食べていた人、と。
数年後、メラニーがユンに「カニが日本で会社を始めるんだって」と伝えたとき、返ってきた反応はこんな感じだったという。「待って——あの、海で遊んでる人? あの人がちゃんとした会社を?」
……まあ、無理もない。
でも、これがユンという人をよく表していると思う。本当に大切な縁というのは、たいてい「キャリアのチャンス」みたいな顔をしてやって来ない。お祭りだったり、友達の友達が泊まる場所を探していたり、そういう形でやって来る。そしてユンは、僕が知る誰よりも深く、こういうことを分かっている人だ——目の前にいる人を大切にしていれば、あとは自然とついてくる、と。
ユンが生まれたのは岡山。正確には、お母さんの実家の近くの病院だ。でも育ったのは愛媛で、高校を終えるまでずっとそこにいた。実家は材木屋さんで、つまり「庭」は木材や材料が山積みになった、とんでもなく広い空間だった。当然そこは、忍者の修行場になる。ユンは子供時代をまるごと、売り物の木材の上を飛び回って「忍者ごっこ」をして過ごした。ここで誤解しないでほしいのは、これはただの遊びではなかったということ。ユンは本気で忍者になりたかった。あるいは超能力者に。そして、そのために自己流の訓練を積んでいた。
幼稚園の文集が、もう半分の物語を教えてくれる。「将来なりたいもの」の欄に、小さなユンはこう書いていた——「歌手」。
忍者、超能力者、そして歌手。今のユンを知っていると、正直なところ、どれもしっくりくる。

大学を出たあと、ユンはバンドを組み、メンバー全員で東京に出てきた。生活のためにピザハットでアルバイトをしていたのだが——そこである日、バイト仲間の一人が「ニュージーランドから友達が遊びに来るんだけど、泊めてあげられない?」とユンに聞いた。ユンはメラニーのことをまだ何も知らなかった。それでも「いいよ」と即答して、自分の家を開いた。そうして始まったのが、あのメラニーとの友情だ。(そう、すべてはユンが見知らぬ人を迎え入れたことから始まっている。)
音楽は趣味なんかじゃなかった。ユンはプロとしてやっていた。事務所に所属し、きちんとレコーディングをし、CM の音楽を手がけ、台湾や韓国でもライブをやり、大阪のラジオ番組ではアシスタント DJ も務めた。その DJ 時代の話で、僕がどうしても忘れられないディテールがある。毎週、ちゃんとしたゲストが番組にやって来る。その帰り際、ユンは一人ひとりに自分の CD を手渡していたのだ。「これ、聞いてください」と。スタッフにさえ「絶対に聞かなさそうな人にまで、なんで渡すの?」と聞かれた。ユンの答えはシンプルだった。「だって、なんかあるかもって思っちゃうから」。
このスタンスが、僕の大好きなエピソードを生んだ。代々木公園の平和のフェスに、スティーブン・セガールが来たことがあった。楽天家のユンは、ここでも CD を渡す。「私の曲です、聞いてください」と。ところが、どうやら意図が少し伝わらなかったらしく、セガールは CD を受け取り、「OK」と言って、サインをして、ユンに返した。というわけで、ユンの家のどこかには、スティーブン・セガール直筆サイン入りの「ユン自身のアルバム」が眠っている。なんでそんなことするの、とみんなに言われ続けても、ユンの答えはいつも同じ。「なんかあるかもって思うから」。
商業的なピークは、トヨタの福祉車両「ウェルキャブ」を宣伝するドラマの主題歌と全編の音楽を担当したことだった。トヨタはその CD を 2,000 枚も買ってくれて、おかげでバンド活動をかなり長く続けることができたという。
僕は、一番つらかった時期——本当にすべてを試されたような時期について聞いてみた。それは、音楽が売れなかった頃だった。事務所がそれなりのお金をかけてレコーディングをしてくれたのに、お客さんは増えず、CD も売れない。そしてメンバーは一人、また一人と、年を重ね、家族を持ち、それぞれの生活へと移っていった。気づけばほぼソロのような状態になり、お金も尽きていた。「私は何のためにこれをやっているんだろう」。その問いが、ぐるぐると頭を回っていた。
僕が静かにすごいと思うのは、ユンがどうやってそれを乗り越えたかだ。周りの評価を追いかけるのでもなく、何か外側のゴールに向かって歯を食いしばるのでもない。ユンは内側へ向かった。これは、お金になるかどうかとは関係なく、誰がどう思うかとも関係なく、自分が本当にやりたいことなのか——それをひたすら問い直したのだ。モチベーションは自分の内側から湧いてくるものでなければ、本物じゃない、と。
そして、一人のファンがいた。毎年夏になると、その人はメッセージをくれた。「ユンが作ったあの夏の曲、今年も聞いてます。やっぱりいいですね」。そして時おり、思い出したように、ぽつりと CD の注文が入る。ユンは言っていた。たった一人でも——本当にたった一人でも——「まだ何かあるかも」と思うには十分だった、と。僕はこの話をよく思い出す。「なんかあるかもしれないから、とりあえず CD を渡す」という哲学と、この一人の忠実なリスナーは、実は同じものなんだと思う。どちらも、頑固で、心を開いたままの、一種の信頼の形だ。
これこそ、僕が瓶に詰めて取っておきたいくらいのレジリエンスだ。ユンはつらかった時期を大げさに語らない。本人の捉え方はこうだ——たとえうまくいかなくても、それで死ぬわけじゃない、終わりでもない。それに日本にいれば、何かしらのセーフティネットがあって、なんとか生きていける。これは決して諦めなんかじゃなくて、むしろこの感覚があるからこそ、ユンは本当に大切なことに全力で飛び込めるのだ。
CC が始まったとき、ユンは週に一度、備品の発注を担当するところから関わってくれた。ちょうど桜ちゃんが生まれたばかりで、音楽活動も「頼まれたらやる」という穏やかなリズムに落ち着いていて、週一なら全然いける、というタイミングだった。それに——これは光栄に受け取っておくけれど——ユンは単純に、新しい会社がある場所にいたかったのだと思う。
ここから先は、僕らの COO であるスティーブの仕事だ。スティーブには、本人が気づくより先に「この人は何ができるか」を見抜く、不思議な才能がある。スティーブはユンに、経理をやってみないかと声をかけた。完全な未経験、ゼロからのスタートだ。スティーブの口説き文句はこんな感じだった。「もう資格なんていらない。全部クラウドでできるし、勉強すればできるようになるから、とりあえずやってみなよ」。そしてユンは、ユンらしく、その冒険に「やってみたい」と答えた。
小さくて、細かくて、緻密なものが好きな人——リアルな食品のミニチュアを何時間でも眺めていられるような人——は、実は経理にめっぽう向いている。一つひとつの仕訳を「これは何だっけ」と確かめながら入力していく作業が、本当に面白かったらしい。そこでスティーブは、人事の制度づくりも少し任せてみた。次に人まわりの仕組み。そしてオフィス管理。週一が週二になり、三、四、五になり、フルタイムになり、正社員になった——その頃にはユンの方が「なりたい、なりたい」と言うようになっていた。なにしろ、CC に来るのは毎日旅行に行くような気持ちだったというのだから。
古い生活からこの一歩を踏み出すとき、不安はなかったのか、と僕は聞いた。なかったそうだ。そしてその理由が、僕の心に残っている。CC は、ユンがどんな人かを分かったうえで迎え入れてくれた。そしてここにいる全員が、仕事の隣に何かもう一つの人生を抱えている。CC では、誰も「肩書きだけの人」ではない。だからこそ、それは賭けというより、当たり前の「イエス」に感じられたのだという。
僕らは自分たちのバリューについてよく語るけれど、僕はいつも、それが内側からどう感じられるかを知りたいと思っている。ユンは “Be Authentic” をこう表現した——いつも「許されている」という感覚だと。ユンはユンのままでいていいし、他の全員もそれぞれ、自分のままでいていい。一番わかりやすいのはこれだ。CC では誰も「経理の人がほしい」とは言わなかった。代わりにこう聞かれたのだ。「ユンがやる経理って、どんなの?」。これがどれほど稀なことか、僕はユンに言われるまで十分には分かっていなかった。
ユンについて、たぶん想像がつかないことが二つある。
一つは、とっさの、その場での会話が本当に苦手だということ。社内でもっとも信頼されている一人なので、これは意外に思われる。本人いわく、会話が終わる頃には、言いたかったことの百分の一くらいしか言えていないらしい。でも、文章となると話は別だ。じっくり考えられる DM や、一対一でのやり取りでは、最高の意味で時間を忘れて没頭する。コミュニケーションが得意じゃない、という話ではない。ユンの一番のコミュニケーションは、自分のペースでこそ生まれる、ということだ。
もう一つは、本人なら絶対に自分から言わない、ささやかで秘密の誇りだ。小学生の頃、愛媛県のバタフライ 25m で 8 位になったことがある。誰も知らなかった。今、あなたも知ってしまった。
会話の終盤にユンが言ったことで、僕がずっと反芻していることがある。ユンにとって CC は、ただの職場ではなかった。人を通してたどり着いた場所——メラニーがいて、お祭りがあって、泊まる場所を探していた友達がいた——そして、たどり着いたあとも、人が次々と、信じられないくらいの信頼を注いでくれた場所だった。だからユンには、その何割かを返したいという気持ちがある。たぶんそれは僕らの多くに当てはまることだけれど、ユンはそれを口に出して言ってくれる。
そして、その温かさの下には静かな信念がある。ユンは、日本の「働き方」そのものを少しでも変えるのに力になりたいと、本気で思っているのだ。会社が状況に合わせてしなやかに変わっていける——スティーブやチームが評価制度をつくり直したり、ポリシーをアップデートしたりして、それが問題ないこと、むしろ良いこととされる——その姿は、ユンにとって広めていく価値のあるメッセージなのだという。反復しながら、良くしていく。人間らしさを失わずに。僕らはそれをバリューとして語るけれど、ユンはそれをミッションとして生きている。
最近のユンは、三つのことを深掘りしている。スパイス、紅茶、そしてスリランカだ。今年の年末にはスパイスの試験を受けるつもりで、時間があればこの三つをひたすら調べている。CC での役割は、経理、HR、オフィス管理へと広がり続けているけれど、それらはすべて一つの、静かで巨大なゴールのためにある——CC を安全と安心の場所にすること。みんなが最高の仕事をできるように、そのためなら何でもやる、という気持ちだ。
5 年後、ユンが夢見ているのは、自分の「空間」をホストすることだ。オンラインでも、物理的な場所でもいい。ミニチュアや紅茶やスパイスや音楽——つまり余白そのもので満たされた場所。なくても生きていけるけれど、それがあるからこそ人生が人生らしくなる、そういうものたちだ。ユンの言葉が一番ぴったりくる。「ご飯の時間より、お茶の時間の方が好きなんだよね」。あの、絶対に必要じゃないけれど、美しいもの。
そして、僕らが口癖のように言う “Be comfortable being uncomfortable” について。ユンはこれを、レジリエンスを鍛える練習だと捉えている。つらいときに一歩引いて自分を眺められること。今は確かにしんどいけれど、この先これを越えたらこうなるだろうな、と、不安の向こう側にある希望をちゃんと握っていられること。
もしユンに出会って、たった一つだけ持ち帰ってほしいことがあるとしたら、それはこれだ——CD を、渡してみよう。泊まる場所を探している友達を、迎えてあげよう。やったことのないことに、イエスと言ってみよう。そこから何が生まれるかは、誰にも分からない。そしてかなりの確率で、そこから生まれるのは、計画してはたどり着けなかったような人生なのだ。

CodeChrysalis へようこそ、ユン。あなたがあのドアを開けてくれて、僕らは本当にラッキーだ。
お問い合わせ
サービスご利用についてのご相談や資料請求は
お問い合わせフォームよりご連絡ください。