一枚の画像が突きつけた、日本の現在地とAI時代の選択
Kani Thoughts・2026年8月
数日前、ある方から一枚の画像が送られてきました。

そこに描かれていたのは、1989年の日本の家庭と、現在の暮らしの対比でした。
画像の中では、1989年の電話も、テレビも、音楽プレーヤーも、カメラも、コンピューターも、ゲーム機も、すべて日本企業の製品として描かれています。
いま、私たちは同じように電話をし、映画を観て、音楽を聴き、写真を撮り、買い物をし、コンピューターを使っています。
しかし、その多くはApple、Netflix、Spotify、Amazon、Google、Microsoftといった海外企業のサービスの上で行われています。
画像の一番下には、短い問いがありました。
「私たちのお金は、どこへ行ったのか?」
この画像を見て、最初に感じたのは懐かしさではありませんでした。
少し、痛かった。
私は、左側に描かれている日本を覚えています。
あの頃の日本は、単に品質の高い製品をつくっていたのではありません。世界中の人の暮らしそのものを変えるものを生み出していました。
ウォークマンは、音楽を個人のものにし、どこへでも持ち歩けるものにしました。1964年に開業した新幹線は、現代の高速鉄道の時代を切り開きました。富士フイルムの「写ルンです」は、写真をもっと身近な日常のものにしました。[1]
日本は、未来に参加していただけではありません。
未来の当たり前をつくる側にいました。
※この画像は、インターネット上で共有されていたものを知人から受け取ったものです。原作者および初出は確認できていないため、統計資料ではなく、考えるきっかけとして掲載しています。
最初に、慎重に見ておきたいことがあります。
この画像は、経済データではなく、ひとつの比喩です。家庭の消費と株式時価総額を同じ画面で扱い、複雑な国際的サプライチェーンを単純化しています。しかも基準となっている1989年は、巨大な資産バブルの頂点でした。あの時代が、そのまま永遠に続くべきだったわけではありません。
ロイターによると、1989年のピーク時、日本株は世界の株式市場のおよそ45%を占めていました。2024年2月には約6%。また2026年7月末時点で、MSCIワールド・インデックスの構成銘柄上位10社に日本企業は入っていませんでした。[2]
ただし、順位は変わります。為替も動きます。時価総額だけで、その国が社会に生み出している価値のすべてを測ることはできません。
だから、この画像から導くべき結論は「1989年に戻ろう」ではありません。
それでも、この画像はひとつの本質を捉えています。
その後の数十年で日本は、日常を形づくる製品を数多く生み出す国から、日常を形づくる海外のプラットフォームを利用する国へと、少しずつ重心を移してきました。
この変化は、見過ごせません。
この構造変化の一部は、「デジタル赤字」と呼ばれています。
デジタル関連サービスについて、日本が海外から受け取る金額と、海外へ支払う金額の差です。
ただし、これは国際収支に「デジタル赤字」という一つの公式項目があるわけではありません。本稿では、総務省の情報通信白書でも用いられている、次の3項目を合計した継続的な指標を使います。[3]
定義によっては、通信・情報サービスなども加えます。また、これらの項目には一部デジタル以外の取引も含まれます。したがって、この数字は一円単位の「デジタル輸入代」ではなく、方向と規模を見るための指標です。
同じ3項目で比較すると、日本のデジタル赤字は2014年の約2.0兆円から、2024年には約6.7兆円へ拡大しました。[4]
2025年は約6.6兆円。過去最大だった2024年からはわずかに縮小したものの、依然として高い水準にあります。
一日にすると、およそ180億円。
同じ指標で、2025年に日本が海外から受け取った金額は約4.7兆円。支払った金額は約11.3兆円でした。[5]
経済産業省の若手職員による研究チーム「PIVOT」は、この構造が変わらない場合、デジタル赤字が2035年に約18兆円へ拡大する基本シナリオを示しています。AI革命を織り込んだ悲観シナリオでは、約28兆円です。[6]
これは政府の公式予測でも、決められた未来でもありません。
しかし、十分に重い警告です。
海外のクラウド、ソフトウェア、広告プラットフォーム、動画配信、AIサービスに支払う一つひとつの費用は、企業や個人にとって合理的な選択です。
問題は、それらをすべて合わせたときに、デジタル経済のインフラ、知的財産、データ、顧客接点、そして継続的な収益が、どこに蓄積されているかです。
お金が、ただ消えたわけではありません。
価値の生まれる場所が移ったのです。
ハードウェアからソフトウェアへ。
一度きりの販売から、継続課金のサービスへ。
製品から、プラットフォームとエコシステムへ。
モノを売ることから、顧客との関係を持ち続けることへ。
日本は今も、多くのものづくり分野や専門技術で強みを持っています。
しかし、その上に乗るソフトウェア、プラットフォーム、顧客接点、継続収益の仕組みを、海外企業が担っているケースは少なくありません。
そして、価値と一緒に、能力も移っていきます。
プラットフォームを自ら運営する企業は、何百万人もの顧客から学びます。プロダクトは改善され、データが蓄積され、その収益が次の研究、次のプロダクト、次の人材へ再投資されます。
本当に考えるべきなのは、お金がどこへ行ったかだけではありません。
次のものを生み出す力が、どこに蓄積されているかです。
ここで「国産を買おう」「海外のサービスを使うのをやめよう」という話にするのは簡単です。
でも、私はそれが答えだとは思いません。
AWS、Azure、ChatGPT、Gemini、GitHubなど、世界の優れた技術は、日本企業がより速く、より大きな挑戦に踏み出す力になります。
それらを拒めば、日本は強くなるどころか、弱くなります。
私は、日本でのAI活用はもっと加速させるべきだと考えています。
ただし、本当に大切なのは、使うこと自体ではなく、その先に何を生み出すかです。
導入した技術を、いまある仕事のコスト削減や時短だけに使うのか。
それとも、これまで存在しなかったプロダクト、サービス、事業、社会の仕組みを生み出すために使うのか。
最新のデータは、この違いをはっきり示しています。
IPA(独立行政法人情報処理推進機構)が発表した「DX動向2026」は、企業から得た1,799件の有効回答をもとにしています。[7]
AIを「導入している」企業は42.3%、「試験利用している」は15.7%。合わせると58.0%です。
生成AIを導入済みと回答した割合も、2024年度の22.6%から2025年度の44.0%へ、ほぼ倍増しました。[8]
これは、確かな前進です。
では、何に使っているのでしょうか。
AIを導入、試験利用、または具体的に検討している企業では、次のような回答がありました。[9]
AIを導入または試験利用し、何らかの効果があった企業のうち、91.6%は「業務が速くなった・効率化した」と回答しています。
一方で、「顧客満足度が向上した」は4.5%。「売上・利益が増加した」は3.9%でした。[10]
これは複数回答による自己申告です。売上への貢献は、時間短縮より測りにくいという事情もあります。
それでも、この差はあまりにも大きい。
日本企業は、AIを使い始めています。
しかし多くの現場では、私たちの世代で最も大きな変化をもたらす可能性のある技術を、まず「資料を速くつくるため」に使っています。
効率化は大切です。
でも、それだけでは変革ではありません。
日本のデジタル課題は、長いあいだ「エンジニア不足」として語られてきました。
それは事実です。
しかし、データを読むと、人の数だけではなく、組織の側にも課題があることが見えてきます。
DXに取り組む企業のうち、DX人材の「量が不足している」と答えた企業は85.5%。「質が不足している」は88.8%でした。
その一方で、自社に必要なDX人材像を定義し、社内に周知できている企業は16.2%。評価基準がない企業は76.1%でした。[11]
人が足りない。
しかし、どんな人が必要なのか、何を期待するのか、どう評価するのかが、十分に定義されていない。
これは採用だけでは解決できない問題です。
日本では、ソフトウェア開発を外部パートナーに委ねる構造が長く続いてきました。
ただし、IPAの数字は「外注か、内製か」という単純な二択ではありません。
コア事業/競争領域のシステムについて、日本企業では「外部委託による開発」が37.8%、「内製による自社開発」が28.2%。米国企業では、それぞれ30.6%と48.5%でした。複数の開発手法を選べる設問なので、どれかの数字を100%から引くことはできません。[12]
別の設問では、より明確な差が表れています。
DXに取り組む企業のうち、必要な開発機能の内製化を進めている、またはすでに実現している企業は、米国で89.0%。日本では42.3%でした。
一方、内製化を進めず、今後も外部開発を活用すると回答した企業は、日本で27.4%、米国で2.8%でした。[13]
外部パートナーに頼ること自体が悪いわけではありません。優れたパートナーは不可欠です。
問題は、開発を外部に委ねるのと同時に、課題を理解する力、何をつくるかを決める力、利用者から学ぶ力、改善を続ける力まで外へ出してしまうことです。
開発を外注することはできる。
しかし、自分たちの未来の主導権まで外注することはできません。
AIは、ビジネス上の課題と、実際に動く解決策との距離を急速に縮めています。
以前は数か月かかったフィードバックループが、数日、場合によっては数時間で回るようになりつつあります。
だからこそ、従来の長い伝言ゲームは、これまで以上に危険です。
現場の文脈が、要件定義、調達、管理、複数のベンダーを通るうちに薄まり、AIによって「間違ったものを、ものすごい速さでつくる」ことになりかねません。
これから企業に必要なのは、次のような人たちです。
AIは、コード、デザイン、調査、分析、戦略の選択肢を生み出せます。これからは、実際の行動まで担う場面も増えていくでしょう。
しかし、その結果に対する責任を引き受けることはできません。
何が大切かを決めること。
人を同じ方向へ動かすこと。
不確実な状況で判断すること。
大きな組織を変えるための信頼を築くこと。
それは、最終的に人が引き受けるべき仕事です。
ここで私は、日本に対してよく語られる悲観論には同意しません。
日本は、発明する力を忘れた国ではありません。
2024年度の研究費は23.79兆円で、4年連続の過去最高。研究者は91万2,800人でした。
研究費は国内の公表値でGDP比3.70%。国際比較に用いられるフルタイム換算では3.44%です。[14]
WIPOの「グローバル・イノベーション・インデックス2025」で、日本は12位。2011年以来の最高順位です。
GDP規模を考慮したパテントファミリー数では世界2位、GDP比でみた企業部門の研究開発費では3位。別に発表されたイノベーションクラスターのランキングでは、東京・横浜が2位でした。[15]
材料は、ここにあります。
世界に通用するエンジニアや研究者がいる。
モビリティ、製造、エネルギー、医療、金融、ロボティクス、素材、エンターテインメントには、世界でも稀有なほど深い知見を持つ企業がある。
長期にわたって技術を磨いてきた企業がある。
品質を守りながら、改善を積み重ねてきた現場がある。
こうした知見と実行力は、いまも多くの産業を支えている。
そして、AI時代にも失われない日本の資産です。
日本に足りないのは、創造性そのものではありません。
こうした強みを、現代のデジタルプロダクトづくりにつなぎ、知識をプロダクトに変え、顧客の近くで育て、規模を広げ、そこで得た学びを次の挑戦へ戻していく仕組みです。
そして、組織の中にいる人たちへ、つくる権限と環境とスキルを渡すことです。
これは、解決できる問題です。
急ぐ理由もあります。
OECDの15〜64歳という定義では、日本の生産年齢人口は1995年の8,730万人から、2024年には7,370万人へ、16%減少しました。
またOECDは、2023年から2060年に31%減少すると予測しています。[16]
人口が減っていく日本では、これからも「一人ひとりが、もっと長く、もっと頑張る」だけで未来を切り拓くことはできません。
テクノロジーを活用し、一人ひとりがより大きな価値を生み出せるようにする必要があります。
AIは、その可能性を持っています。
ただし、AIを効率化の道具だけで終わらせず、創造する力として使うなら、です。
Code Chrysalisにいる全員が、それぞれの立場から、この問いに向き合っています。
学びの体験を設計する人。
顧客に新しい視点を投げかける人。
受講生の挑戦を支える人。
プロダクトを改善する人。
チームが力を発揮できる環境をつくる人。
役割は違っても、目指している方向は同じです。
何人にコードの書き方を教えるか、ではありません。
日本企業が、自ら未来を創り続ける力をどう育てるか。
私たちが育てたいのは、仕様書だけを見るのではなく、ビジネスと顧客を理解するエンジニアです。
そして、そのエンジニアと職種の壁を越え、一つのチームとして働けるプロダクトマネージャーやプロダクトデザイナーです。
技術だけでも足りません。
私たちが「Power Skills」と呼ぶ、オーナーシップ、自律性、コミュニケーション、周囲を動かす力、振り返る力、そして正解が見えない中でも一歩を踏み出す勇気が必要です。
そして今は、誰もがAIと協働する方法を学ばなければなりません。
便利な機能を受け身で使う人としてではなく、自分が何をつくっているのか、なぜそれが必要なのか、どんな責任を伴うのかを理解した創り手として。
私たちの仕事は、企業の代わりにソフトウェアをつくり、納品して終わることではありません。
私たちがいなくなった後も、その企業が創り続けられるように、チーム、習慣、判断力、そして自信を育てることです。
一つの学校、一つのスタートアップ、一つの大企業、一つの政策だけで、日本のデジタル赤字を解消することはできません。
それでも、エンジニアが技術と顧客課題をつないだとき。
プロダクトチームが、議論やプレゼンテーションにとどまらず、実験に踏み出したとき。
企業が、外部に依存し続けるのではなく、自ら創り続ける力を組織の中に築いたとき。
流れは、少しずつ変わります。
それが、私たちの仕事です。
画像は問いかけます。
「私たちのお金は、どこへ行ったのか?」
しかし、本当に大切な問いは、こちらではないでしょうか。
「私たちの未来を創る力は、どこに置くのか?」
日本は、これからも世界から学ぶべきです。
世界で最も優れた技術を使う。
国境を越えて協力する。
海外から多様な人材を迎える。
すべてを自前でつくるという安心感に逃げない。
しかし、導入して終わりではいけません。
誰かがつくった未来を、上手に使うだけの国で満足してはいけない。
1989年を取り戻す必要はありません。
必要なのは、2039年に誰かがもう一度この画像をつくったとき、その右側に、いまはまだ存在しないプロダクトやサービスが並んでいることです。
そして、そのいくつかが日本で構想され、日本でつくられ、世界へ広がっていることです。
日本が世界に背を向けたからではありません。
日本が、世界にとって欠かせない新しい価値を、さらに生み出すことを選んだからです。
未来は、輸入するだけのものではない。
ここから、創るものでもある。
[1] 歴史的事例:Sony「ウォークマンの世界的・文化的影響」、国際鉄道連合(UIC)「新幹線と現代高速鉄道の始まり」、富士フイルム「写ルンですと日常写真の広がり」。
[2] Reuters「Japan’s crazy 1980s bubble a dim memory as Nikkei hits record high」(2024年2月)、MSCI World Index 上位構成銘柄(2026年7月末時点)。MSCIの比較は同指数の構成銘柄に限るもので、世界の全上場企業を対象とした順位ではありません。
[3] 総務省「令和8年版 情報通信白書」69頁、および図表1-1-7-6の基礎データ。総務省も、使用する国際収支項目にはデジタル以外の取引が一部含まれると注意しています。
[4] 総務省「令和8年版 情報通信白書」図表1-1-7-6の基礎データ。同じ3項目の定義では、2014年の2.0兆円から2024年の6.7兆円へ拡大しています。
[5] 日本銀行「国際収支統計(BPM6)」から、著作権等使用料(9062)、コンピュータサービス(9072)、専門・経営コンサルティングサービス(9082)の暦年受取・支払を合計。2025年は受取4.725兆円、支払11.321兆円、赤字6.596兆円。国際収支統計は改訂される場合があります。
[6] 経済産業省「デジタル経済レポート」。大臣官房若手新政策プロジェクトPIVOTによるレポートで、掲載ページにもプロジェクトチームの見解であることが明記されています。18兆円の基本シナリオと28兆円のAI革命を含む悲観シナリオは、公式な省予測ではなく、ボトムアップ推計です。
[7] IPA「DX動向2026」67頁。IPAの英語名称は2026年6月にInformation-technology Promotion Agency, JapanからInnovation Platform Agency, Japanへ変更されましたが、日本語の法人名と略称は変更されていません。
[8] IPA「DX動向2026」25頁・28頁、図表3-1・3-5。58.0%は導入済み42.3%と試験利用15.7%の合計(n=1,794)。生成AIの比較は2024年度(n=1,523)と2025年度(n=1,787)。
[9] IPA「DX動向2026」31頁、図表3-9(n=1,191)。複数回答で、AIを導入、試験利用、または具体的に検討している企業が対象です。
[10] IPA「DX動向2026」35頁、図表3-14(n=853)。AIを導入または試験利用し、何らかの効果があった企業が対象。複数回答のため合計は100%になりません。
[11] IPA「DX動向2026」54頁・56頁・58頁、図表4-1、4-3、4-5、4-6(設問によりn=1,354〜1,357)。
[12] IPA「DX動向2025」42頁、図表2-13。開発手法は複数選択可能で、外部開発、内製、パッケージ、SaaS、組み合わせ、特定の方法なしなどが含まれます。
[13] IPA「DX動向2025」44頁、図表2-15。米国の89.0%は「内製化を進めている」48.6%と「必要な部分をすでに内製化」40.4%の合計。日本の42.3%は25.8%と16.5%の合計です。
[14] 総務省統計局「2025年科学技術研究調査」2頁・9頁・52頁、および英語版結果概要。国際比較の3.44%は、大学等の研究人件費をフルタイム換算係数で調整した数値です。
[15] WIPO「Global Innovation Index 2025」および「2025 Innovation Cluster Ranking」。
[16] OECD「Employment Outlook 2025: Japan」。生産年齢人口は15〜64歳の定義。1995〜2024年の減少と2023〜2060年の予測は基準年が異なるため、後者を「さらに31%減少」とは表現していません。
お問い合わせ
サービスご利用についてのご相談や資料請求は
お問い合わせフォームよりご連絡ください。